ある日の朝。 サンマルコ広場の向こうに昇ろうとする朝日を眺めながらぼーっとしていました。 そしたら、「おはようございます。」とある男性に声をかけられました。 ん?待ちに待ったイタリア男の登場ではありません。 「日本人の方ですよね?すぐにわかります。」というその男性はメキシコ出身で、観光でヴェネツィアに来ているとか。なんと、日本に留学経験があるそうです。 その彼によると、世界中のどの国・街に行っても、空や海を眺めながら立ち尽くしているのは、日本人だけだそうです。「またまた~」と思ったけど、そういえばこの朝日をゆっくり眺めてるのは周りを見渡しても自分ひとり。 「自然を目の前にして、静かに佇むことができるのは、日本人の特権です。自然を敬い、自然と共に生きる日本人を僕は尊敬しています。」 そう言って、彼は友達が待っている方へ去っていきました。 自然と共に生きる日本人・・・自分にとってはそれが当たり前のようで、でも、「ああ、海外の人から見ると、やっぱりそういうことなんだなー」なんて、ちょっと納得もしながら、その短い会話を心の中で消化して、歩き始めました。 そして、あれから2ヶ月ちょっとたって、3月11日。 世界の誰よりも、自然を愛し、また自然に愛されてたはずの日本が、自然によって多くの命を奪われました。命も、家も、思い出も、これまで長い長い時間をかけて先人達が築き上げてきたものの多くが、ほんの少しの時間のうちに、失われました。 そして、今このときも、寒くて暗い避難所で、血を吐くような思いで苦しみに耐えている人がいっぱいいる。豊かなはずの日本に、電気も水も、食べ物も無い。 この危機に直面してもなお、これを現実として受け入れられない自分もいます。 ついこの前、電話で話したばかりの同僚と連絡が取れないなんて、到底受け入れられることではありません。 ただ、自分に出来ることは、心から祈るということ。 特にここ数日そう思います。 唯一絶対な神という概念を持たない日本人が祈るのは、ありとあらゆるところに宿る神々に対してかもしれない。やはり、私達は、あまりに残酷な試練を与えたはずの自然に祈るしかなく、それによって生きていくのだ、と。誰かが言った「天罰」じゃなけれど、なぜ大地が激しく揺れ動き、波が荒れ狂い、熱が火照りあがり、光が失われたのか、、、そんなことをひとり一人が少しでも考えてみながら、j人々の幸せを祈り、そのために行動をする。それが今わたしたちにできることであり、必要なことなんじゃないかなって、ふと思いました。 (まさかの話の展開でした。)
by carlee_trastevere
| 2011-03-23 02:45
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